細野晴臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
細野 晴臣
基本情報
別名
  • ハリー
  • ハリー細野
  • 宇野主水
  • 西原朱夏
  • チャーハン細野
生誕 (1947-07-09) 1947年7月9日(76歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都港区
学歴 立教大学社会学部産業関係学科
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1969年 -
レーベル
事務所 ミディアム
共同作業者
公式サイト 公式ウェブサイト
著名使用楽器

細野 晴臣(ほその はるおみ、Haruomi Hosono、1947年昭和22年〉7月9日 - )は、日本ミュージシャン2008年3月、平成19年度芸術選奨の大衆芸能部門で文部科学大臣賞を受賞。

略歴[編集]

生い立ち[編集]

1947年昭和22年)、東京都港区生まれ。父方の祖父は鉄道官僚で、タイタニック号処女航海唯一の日本人乗客であった細野正文。母方の祖父である中谷孝男ピアノ調律師、叔母が外資系の映画会社勤務という環境から、幼い頃からポピュラー音楽に親しんだ。

港区立白金小学校から越境港区立青山中学校入学[1]バンカラな校風の青山中学時代[2]ロックに興味を持ち、15歳あたりからギターを手に友人とバンドを組む。漫画家を志したこともあるが、立教高校(現:立教新座高校)・立教大学の同級生だった西岸良平の才能に感服し、漫画家を諦め音楽の道を進むことを決意する[3]

高校時代からフォークの洗礼を受け、ボーカルにも挑戦し始める[注 1]。この頃、ボブ・ディランに大きな影響を受けた。

ロックバンドの結成[編集]

立教大学在学中にベースをはじめ、数多くのバンドを経た1969年エイプリル・フールのベーシストとしてメジャー・デビュー。その後、大瀧詠一松本隆鈴木茂はっぴいえんどを結成。細野本人は当初、日本語でロックを歌うことに反対していたが、結果として日本語ロックの礎を築く。1973年のはっぴいえんど解散後、ソロ活動と並行して鈴木茂、林立夫松任谷正隆キャラメル・ママ(のちにティン・パン・アレーと改名)を結成。演奏・プロデュースチームとして多数のアーティストの楽曲に参加、荒井由実矢野顕子などのプロデュースも行う。

自身のソロ・アルバムでは、1stアルバム『HOSONO HOUSE』(1973年)は、当時埼玉県狭山市アメリカ村にあった自宅で録音を行う。その後の『トロピカル・ダンディー』(1975年)、『泰安洋行』(1976年)、『はらいそ』(1978年)と続く「トロピカル三部作」では南国・楽園志向にアプローチした。この三部作でのニューオーリンズ沖縄ハワイ中国などの音楽をごった煮にしたサウンドは海外の好事家からも注目されるようになる(この作品に加えて、プロデュース作品である西岡恭蔵の『ろっかばいまいべいびい』がある。名義上はプロデュースだが、実質は共作である)。漫画家の諸星大二郎のファンであり、彼の漫画のタイトルから曲名をつけたこともある。

『イエロー・マジック・オーケストラ』結成[編集]

シンセサイザー・コンピュータを用いた音楽やディスコへの興味が高まっていた1978年、元サディスティック・ミカ・バンド高橋幸宏、当時スタジオ・ミュージシャンでもあった坂本龍一イエロー・マジック・オーケストラYMO)を結成。当初は細野主体の企画もののバンドと捉えられていたが、1980年にはその活動がブームを巻き起こす。

YMOの成功をきっかけにメディアにも露出するようになり、アイドル・歌謡曲界への多数の楽曲提供、新人発掘のためのレーベル「¥EN」の高橋との共同による立ち上げなど、個人としても精力的に活動を行う。

また、ビデオ・ゲーム「ゼビウス」の音源をダンス・ミュージックにアレンジした『ビデオ・ゲーム・ミュージック』(1984年)をプロデュース。ゲーム・ミュージックが音楽ジャンルとして確立するきっかけを作った。

『イエロー・マジック・オーケストラ』散開後[編集]

1983年のYMO散開(解散)後は、テイチクに移籍し、「Non Standard」と「Monado」の2つのレーベルを立ち上げる。Non Standardレーベルからはピチカート・ファイヴやWorld Standardを輩出。また、自身の代表作として映画『銀河鉄道の夜』のサウンド・トラックを手掛ける。Monadoレーベルからは実験的な作品を中心にいわゆる「観光音楽」と呼ばれる作品を発表。代表作として映画『パラダイスビュー』のサウンド・トラックを手掛ける。

この時期は旧知である松本隆の依頼で松田聖子への楽曲提供を行うなど他者への楽曲提供も盛んに行っている。一方で聖子と激しいライバル関係にあった中森明菜に対しても楽曲提供を行っており、同じく松本と旧知である松任谷由実が明菜に対し楽曲提供を行っていないのとは対照的である。

その後、1989年EPIC/SONY RECORDSに移籍し、アルバム『omni Sight Seeing』を発表。また、映画『紫式部 源氏物語』のサウンドトラックを手掛ける。その後、アルバム『メディスン・コンピレーション』を発表。その後もプロデューサーや作曲家としての活動や映画音楽の提供(『メゾン・ド・ヒミコ』他)などをこなしながらも、アルバム発表や多くの他アーティストとのユニット(別項参照)結成など自己の音楽活動も枚挙に暇がない。

1990年代以降[編集]

YMO時代からの多忙に加えて、日本のバブル崩壊以前の消費社会に幻滅し、1980年代後期にはワールド・ミュージック、1990年代にはアンビエント・ミュージックに深くアプローチし、大量消費されない音楽を模索した。

自身のレーベル「daisyworld discs」を1996年に創設、2002年よりYMO時代の盟友、高橋幸宏とスケッチ・ショウ (SKETCH SHOW) を結成しフォーキーなエレクトロニカサウンドに取り組む。また2005年にはHISにてシングルをリリース、翌年この名義にて忌野清志郎のライブに参加するなどしている。

SKETCH SHOWは坂本龍一ともコラボレートしており、ライヴやコンピレーション・アルバムでは3人でヒューマン・オーディオ・スポンジ (HAS) として活動も行う。2007年にはHASとしてのライブ活動のほか、YMOとしても「RYDEEN 79/07」を発表、さらにはHASYMOとしても「RESCUE」を発表するなど、活発な活動を行っている。

YMO 2008年ライブ

その一方で、2005年9月に狭山稲荷山公園で行われたハイドパーク・ミュージック・フェスティバルでは久々にボーカルをとって『HOSONO HOUSE』の曲を披露。以降、東京シャイネスハリー・ホソノ・クインテットなどのユニットを結成し、カントリー&ウェスタンスタイルのライブ活動を行う。これらの活動は2007年9月に発売されたアルバム「FLYING SAUCER 1947」として結実する。また、同年4月に坂本龍一の立ち上げたレーベル「commmons」からトリビュート・アルバムが発売され、同年7月にはトリビュート・ライブが日比谷野外音楽堂で催された。2008年にトリビュート・アルバムの続編も発表されている。

2007年2月7日に発売されたCD-BOX『Harry Hosono Crown Years 1974-1977』のDisc3で1976年5月8日に横浜市横浜中華街の中華レストラン「同發新館」に招待客を集めてディナーショー形式で行なわれた、通称「中華街ライブ」の音源が初CD化する[注 2]。このライブで細野はベースではなくマリンバを担当。細野以外のバックメンバーはベース田中章弘、ギター鈴木茂、ドラム林立夫、パーカッションとフルート浜口茂外也、キーボードは後に細野とYMOを組む坂本龍一、ピアノは後にYMOのツアーにサポートキーボーディストとして参加する矢野顕子、そしてホーンセクションの人達(ライブのメンバー紹介MCで細野はホーンセクションの人達は紹介していない)。坂本龍一や矢野顕子が参加したりYMOでカバーされる「Firecraker」が披露された面、またソロライブはほぼ音源化されていない為貴重な音源である。

2008年3月、平成19年度芸術選奨の大衆芸能部門で文部科学大臣賞を受賞。

2011年、『くるり×細野晴臣 東北ツアー』を開催。2013年から4年間、京都精華大学ポピュラーカルチャー学部の客員教授を務める。2015年、『キネマ旬報』に連載したコラム「映画を聴きましょう」で、第42回キネマ旬報読者賞を受賞。2020年度朝日賞受賞[4][5]

人物[編集]

音楽家としての活動以外にも、俳優としてテレビドラマ映画に出演したり、また低音が響く声が評価され、TV番組やコマーシャルのナレーターとして起用されることも増えている。しかし、本人は自分の声が嫌いなようで、YMOのアルバム『BGM』に収録されている「ラップ現象」など、イコライザーで自身の声の低域をカットしている楽曲もある。また、声の低さ故はっぴいえんどのアルバム「風街ろまん」収録「風をあつめて」の曲作りには苦労したと言う。

一般的にはベーシストやキーボーディストとして知られているがギターピアノオルガンドラムスヴィブラフォンシロフォン三味線マルチに演奏できる。実際にクラウン時代の『トロピカル・ダンディー』や『泰安洋行』では、上記した楽器を演奏しているほか、ドラマーとしては、実際に大瀧詠一の「恋の汽車ポッポ」で、別名の宇野主水で参加している。

狭山に住んでいた頃、「寝図美」という名前の猫を飼っていた[注 3]。以前の飼い主であるフォークシンガーの遠藤賢司が名付けた。遠藤が自宅アパートで飼っていたが大家に見つかって飼えなくなり、細野が預かることになったという。

1970年代にはいくつかの雑誌にコラムを書いている。当時出したアルバムのことなどである。それらのコラムは、CD-BOX『HARRY HOSONO CROWN YEARS 1974-1977』のブックレットに転載されており、読むことができる。アルバム『トロピカル・ダンディー』の歌詞カードにも「島について」というコラムを寄せている。

母方の祖父、中谷孝男は、日本楽器製造(現ヤマハ)のオルガン部門勤務を経て、社団法人日本ピアノ調律師協会の前身である全国ピアノ技術者協会の創設に力尽。 文筆の才に優れ、数多くのピアノ技術書を翻訳して刊行し、国立音楽大学の音響工学科講師を務める等日本屈指のピアノ調律師として名を馳せた。

喫煙者であり、デビュー50周年記念ドキュメンタリー映画『NO SMOKING』のタイトルは、自身がヘビースモーカーであることに由来している[6]2021年現在は、受動喫煙対策により禁煙の場所が増えてきたことから、「もうずいぶん前から迫害を受けてる」と語っている[7]

YMOメンバーである高橋幸宏とはYMO結成以前から長い交流があり、2人が初めて出会ったのは、軽井沢の「三笠ホテル」(現在は国の重要文化財)で開かれたダンスパーティーで、細野が大学生、高橋が高校生のときであった。

ベーシストの細野悠太は孫。

祖父・細野正文とタイタニック号[編集]

細野の父方の祖父である細野正文は、日本人で唯一豪華客船タイタニック号に乗船し、事故から生還した人物である。映画『タイタニック』の公開に合わせ、1998年にウォルター・ロード『タイタニック号の最期』(佐藤亮一訳、ちくま文庫)が再刊され、細野は祖父のことを記した文章を寄せた。また、ギャヴィン・ブライアーズの『タイタニック号の沈没』の1994年版CDの日本盤[注 4]ライナーノーツでも、本件に関する質疑に答えている。

細野が1985年に『銀河鉄道の夜』のアニメ映画の音楽を担当した時には、偶然ではなく運命的なものと捉えたとコメントしている[8]

細野は2012年に、事故犠牲者の共同墓地があるカナダハリファックスを訪れており、その模様は2012年6月7日のNHK BSプレミアム旅のチカラ』にて放送され[9]大西洋海洋博物館英語版に展示されている乗船名簿に祖父の名を見つける[注 5]。事故が起きた100年前と同じ4月21日に行われた追悼式を再現した式典に参加し、犠牲者の共同墓地も訪れた。細野は、同じミュージシャンとしてタイタニック号沈没まで演奏していて犠牲になった8人の音楽家のことが気になっていたという[10]

関連バンド・ユニット[編集]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

発売日 タイトル B面 販売形態 最高順位 備考
ベルウッド・レコード
1st 1973年9月25日 恋は桃色 福は内鬼は外 EP 2017年7月19日:アナログEPで復刻発売
CROWN / PANAM
2nd 1975年6月 絹街道 ハニー・ムーン EP
3rd 1976年4月25日 北京ダック ブラック・ピーナッツ 1997年6月26日Vivid盤 (EP) 発売
アルファレコード / ¥・E・N
4th 1982年11月21日 三国志メイン・テーマ 三国志ラヴ・テーマ EP NHK人形劇 三国志」テーマ曲
5th 1984年8月29日 スーパー・ゼビウス GAPLUS
THE TOWER OF DRUAGA
12inch
ノン・スタンダード
6th 1984年11月5日 Making of NON-STANDARD MUSIC/Making of MONAD MUSIC 12inch 41位
FOA RECORDS
7th 1998年6月1日 JADO KEN ISHII NAGA Maxi ケン・イシイリミックスを手がけた楽曲を収録したシングル

オリジナル・アルバム[編集]

発売日 タイトル 販売形態 最高順位 備考
ベルウッド・レコード
1st 1973年5月25日 HOSONO HOUSE LP 1979年:ベルウッド1500シリーズ (LP) 発売
1981年:LP再発
1989年3月21日:CD化
1991年9月21日:ベルウッド・クラシックス (CD) 発売
1995年4月5日:ベルウッド・セレクション 21+2 (Q盤) 発売
1996年9月15日Vivid盤 (LP) 発売
2000年2月4日:ベルウッド名盤コレクション (CD) 発売
2001年5月26日:LP再発
2005年3月24日:CDリマスター再発
2012年10月3日:ベルウッド40周年記念盤 (CD) 発売
2014年12月10日:ベルウッド・LPコレクション (LP) 発売
2017年9月20日:ベルウッド45周年記念盤 (UHQCD) 発売
CROWN / PANAM
2nd 1975年6月25日 トロピカル・ダンディー LP 50位 1984年:The MEIBAN シリーズ (LP) 発売
1985年11月21日:CD化
1990年6月21日:CD再発
1993年6月21日:CD再発
1995年5月21日CD選書 (Q盤) 発売
1995年11月10日Vivid盤 (LP) 発売
2000年12月16日:CD再発
2015年7月8日Blu-spec CD2発売
3rd 1976年7月25日 泰安洋行 LP, CT 77位 1984年:The MEIBAN シリーズ (LP) 発売
1986年1月21日:CD化
1990年6月21日:CD再発
1993年6月21日:CD再発
1995年5月21日CD選書 (Q盤) 発売
1995年11月10日Vivid盤 (LP) 発売
2000年12月16日:CD再発
2015年7月8日Blu-spec CD2発売
アルファレコード
4th 1978年4月25日 はらいそハリー細野とイエロー・マジック・バンド名義) LP, CT 1988年8月10日:CD化
1992年8月21日:CD再発
1994年9月28日:CD再発
2005年3月24日:CDリマスター再発
2019年5月15日SACDハイブリッド・アナログ盤リマスター再発
キングレコード
5th 1978年9月21日 COCHIN MOON(コチンの月)細野晴臣 & 横尾忠則名義) LP 1985年:KING COlleCTOR'S ITEMシリーズ (LP) 発売
1989年10月21日:CD化
1992年11月21日:ソングライター・ルネッサンス (CD) 発売
2005年3月24日:CDリマスター再発
アルファレコード / ¥・E・N
6th 1982年5月21日 フィルハーモニー LP, CT 33位 1988年8月10日:CD化
1992年8月21日:CD再発
1994年9月28日:CD再発
2005年3月24日:CDリマスター再発
2019年5月15日SACDハイブリッド・アナログ盤リマスター再発
冬樹社
7th 1984年9月10日 花に水 カセットブック 2020年11月3日:シングルカセット復刻発売
ノン・スタンダード
8th 1984年11月10日 Making of NON-STANDARD MUSIC/Making of MONAD MUSIC 12inch 2001年11月21日:CD化
2015年12月16日:SHM-CD発売
9th 1984年12月16日 S・F・X細野晴臣 with FRIENDS OF EARTH名義) LP, CT 35位 1985年2月21日:CD化
1990年9月21日:CD再発
1996年2月21日CD選書 (Q盤) 発売
2001年11月21日:CD再発
2008年12月17日:SHM-CD発売
2015年12月16日:SHM-CD再発
モナドレーベル
10th 1985年8月21日 コインシデンタル・ミュージック LP, CT 61位 1985年11月21日:CD化
1990年9月21日:CD再発
1996年2月21日CD選書 (Q盤) 発売
2008年12月17日:SHM-CD発売
11th 1985年9月21日 マーキュリック・ダンス 1985年11月21日:CD化
1990年9月21日:CD再発
1996年2月21日CD選書 (Q盤) 発売
2008年12月17日:SHM-CD発売
12th 1985年10月21日 エンドレス・トーキング 1985年12月16日:CD化
1990年9月21日:CD再発
1996年2月21日CD選書 (Q盤) 発売
2008年12月17日:SHM-CD発売
EPIC/SONY RECORDS
13th 1989年7月21日 omni Sight Seeing CD 2009年1月28日:リマスター再発
2020年11月4日SACDハイブリッド・アナログ盤リマスター再発
Epic/Sony Records
14th 1993年3月21日 メディスン・コンピレーション CD 2009年1月28日:リマスター再発
2020年11月4日SACDハイブリッド・アナログ盤リマスター再発
ミディアム
15th 1995年9月10日 GOOD SPORT CD
フォア・レコード
16th 1995年10月25日 ナーガ CD
SPEEDSTAR RECORDS
17th 2007年9月26日 FLYING SAUCER 1947ハリー細野 & ザ・ワールド・シャイネス名義) CD 57位 2013年5月22日:アナログ盤発売
daisyworld discs
18th 2008年7月9日 細野晴臣アーカイヴスvol.1 CD 115位 2013年5月22日:再発
SPEEDSTAR RECORDS / daisyworld discs
19th 2011年4月20日 HoSoNoVa CD 21位 2013年5月22日:アナログ盤発売
20th 2013年5月22日 Heavenly Music CD, LP 12位
SPEEDSTAR RECORDS
21st 2017年11月8日 Vu Jà Dé CD 18位
22nd 2019年3月6日 HOCHONO HOUSE CD, LP 10位

サウンドトラック[編集]

発売日 タイトル 販売形態 最高順位 備考
ノン・スタンダード
1st 1985年7月7日 銀河鉄道の夜 LP, CT メインテーマは90年代に入ってCMでも使われた。
1985年8月1日:CD化
1990年9月21日:CD再発
1996年2月21日CD選書 (Q盤) 発売
2008年12月17日:SHM-CD発売
2018年12月12日:CD特別版発売
モナドレーベル
2nd 1985年9月21日 パラダイスビュー LP, CT 1985年11月21日:CD化
1990年9月21日:CD再発
1996年2月21日CD選書 (Q盤) 発売
2008年12月17日:SHM-CD再発
EPIC・ソニー
3rd 1987年11月21日 紫式部 源氏物語 LP, CT, CD 1993年9月22日:CD再発
2009年1月28日:CDリマスター再発
ワーナーミュージック・ジャパン
4th 2005年8月24日 メゾン・ド・ヒミコ CD
SPEEDSTAR RECORDS
5th 2018年6月8日 万引き家族 配信
6th 2020年11月13日 Malu 夢路

リミックス・アルバム[編集]

発売日 タイトル 販売形態 最高順位 備考
アルファレコード
1st 1992年3月21日 細野晴臣 in the '90s THE MICHAEL BROOK REMIX CD
Epic/Sony Records
2nd 1993年9月22日 MENTAL SPORTS MIXES LP, CD
PROGRESSIVE FOrM
3rd 2004年4月20日 MIX FORM CD

ベスト・アルバム[編集]

発売日 タイトル 販売形態 最高順位 備考
CROWN / PANAM
1983年 HARRY UP HOSONO - HARUOMI HOSONO BEST SELECTIONS LP 1996年5月22日CD選書
1984年9月20日 細野晴臣 BEST 12 CD
1987年10月21日 細野晴臣 17 SONGS
1989年10月5日 細野晴臣 BEST
1992年9月23日 細野晴臣 ベスト15
ベルウッド・レコード
1982年 アーリー 細野晴臣 LP 1985年11月21日:CD再発
ノン・スタンダード
1988年9月21日 THE BEST INSTRUMENTAL MUSIC OF HARUOMI HOSONO "CALM" CD
アルファレコード
1990年9月11日 決定版 細野晴臣ベスト・セレクション CD
SPEEDSTAR RECORDS
2019年8月28日 Hosono Haruomi Compiled By Hoshino Gen 2CD 23位
2019年9月25日 Hosono Haruomi Compiled By Oyamada Keigo 43位

トリビュート・アルバム[編集]

発売日 タイトル 販売形態 最高順位 備考
commmons
1st 2007年4月25日 細野晴臣トリビュートアルバム -Tribute to Haruomi Hosono- CD 23位
2nd 2008年1月23日 細野晴臣 STRANGE SONG BOOK -Tribute to Haruomi Hosono 2- 55位

ボックス・セット[編集]

発売日 タイトル 販売形態 最高順位 備考
daisyworld discs
1st 2000年3月23日 HOSONO BOX 1969-2000 CD
ノン・スタンダード
2nd 2002年2月27日 MONAD BOX CD
CROWN / PANAM
3rd 2007年2月7日 Harry Hosono Crown Years 1974-1977 CD+DVD 57位
コロムビアミュージックエンタテインメント
4th 2009年4月29日 細野晴臣の歌謡曲 20世紀BOX CD 64位

ユニット[編集]

参加作品[編集]

音楽監修[編集]

その他[編集]

  • PACIFIC(1978年)「最後の楽園」、「スラック・キー・ルンバ」、「コズミック・サーフィン」
  • エーゲ海 (the AEGEAN SEA)(1979年)「レゲ・エーゲ・ウーマン」、「ミコノスの花嫁」
  • 新版 電気的行楽 -POP GOES ON ELECTRO(1998年)「esc」
  • MUJI BGM1980-2000(2000年)
    • 1980年から誕生して20周年目の2000年まで無印良品店内で掛けられたオリジナルBGMを集めたコンピレーション・アルバムで、disc-aの「Original BGM」、「Talking-BGM ver.」が細野の作品。ただし、店頭販売は終了(廃盤)している。
  • 井上陽水トリビュート(2019年)「Pi Po Pa (Reiwa mix)」
  • パーティー/終りの季節(2020年) - KEEPON久保田真琴と共同

演奏で参加したことのある主なアーティスト[編集]

細野は1970年代に多くのアーティストの作品で演奏に参加している。ここでは、はっぴいえんどティン・パン・アレーとして以外で演奏に参加したことのあるアーティストを記する。

主な提供楽曲[編集]

著書、関連書籍[編集]

  • レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす(1979年8月、CBS・ソニー出版)
  • 地平線の階段(1979年11月、八曜社)
  • レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす(1984年7月、徳間書店)
  • 花に水(1984年9月、冬樹社) - カセットブック
  • 技術の秘儀(1984年12月、朝日出版社)※吉成真由美との共著
  • 地平線の階段(1985年5月、徳間書店)
  • 観光(1985年6月、角川書店)※中沢新一との共著
  • ネコの日(198年6月、八曜社)
  • 音楽少年漂流記(1988年1月、新潮社)
  • 細野晴臣 OMNI SOUND (1990年3月、リットーミュージック) ※編著・オムニ・サウンド編集委員会
  • 季刊音楽誌「H2」エイチ・ツー創刊0号(1991年9月、筑摩書房)※責任編集
  • The endless talking 細野晴臣インタビュー集(1992年3月、筑摩書房) ※編・北中正和
  • テクノドン(1993年7月、小学館)※編著・後藤繁雄
  • アンビエント・ドライヴァー(2006年9月、マーブルトロン)
  • 対談の本 ロックンロールから枝豆まで(2007年3月、マーブルトロン)
  • 分福茶釜(2008年6月、平凡社)※聞き手・鈴木惣一朗
  • 神楽感覚(2008年10月、作品社)※鎌田東二との共著
  • HOSONO百景 いつか夢に見た音の旅(2014年3月、河出書房新社)※編・中矢俊一郎
  • とまっていた時計がまたうごきはじめた(聞き手・鈴木惣一郎)平凡社、2014.11
  • 地平線の相談(2015年3月、文藝春秋)※星野源との共著
  • 映画を聴きましょう(2017年11月7日、キネマ旬報社)
  • 細野晴臣と彼らの時代 (2020年12月、文藝春秋) ※著・門間雄介

主な出演番組[編集]

CM[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 学内の演劇サークルからその音楽知識と才能には一目置かれ劇団内でフォーク曲演奏などには招聘されることもあったという。このサークルに携わっていた永倉万治らは、のち東京キッドブラザースに参加している。
  2. ^ 当時の細野の事務所で保管された後、細野の初代マネージャーだった長門芳郎が長年所有して保管していたという秘蔵音源。PAアウト音源なので録音状態は歌や演奏をマルチテープに録ってマルチ音源をスタジオでミックスダウンしてマスタリングするライブ音源よりは良くはない。またモノラル音源である。その様なマイナス面はあるが、幸い長門のテープの保管方法が良好であったようで大きく音が歪んだりする古いテープにある経年劣化は少ない。
  3. ^ ボックス・セット『Harry Hosono/Crown Years 1974-1977』のブックレットに一緒に写った写真が掲載されている。
  4. ^ 日本盤CDは翌年の1995年に発売されたことに注意。
  5. ^ 『M.Hosono』ではなく、『M.Hasono』と誤植されている。

出典[編集]

  1. ^ 「YMO写真集『OMIYAGE』」 小学館、1981年
  2. ^ 「TOKYO ROCK BEGINNINGS」 君塚太、河出書房新社、2016年12月23日
  3. ^ 細野晴臣 - ほそやのWEBページ
  4. ^ 朝日賞受賞者が決定 毎日新聞、2021年1月1日
  5. ^ 朝日賞 2020年度”. 朝日新聞社. 2023年1月7日閲覧。
  6. ^ “河北春秋(11/21)”. 河北新報 (河北新報社). (2019年11月21日). https://kahoku.news/articles/20191121kho000000015000c.html 2021年11月14日閲覧。 
  7. ^ “今、非常にみんな内向的な音楽になっている――日本のポピュラー音楽史を更新してきた細野晴臣が見た「コロナ禍」”. Yahoo!ニュース オリジナル 特集 (ヤフー株式会社). (2021年11月14日). https://news.yahoo.co.jp/articles/fff51e581a7537167e549f8358769b7afe064656?page=2 2021年11月14日閲覧。 
  8. ^ 『タイタニック伝説』、平川陽一、廣済堂出版廣済堂文庫、pp.177-178、1999年2月10日。
  9. ^ 旅のチカラ 「船上のラストソング~細野晴臣 カナダ~」”. NHKクロニクル. NHKアーカイブス. 2023年4月7日閲覧。
  10. ^ Webナショジオ・インタビュー 細野晴臣
  11. ^ “細野晴臣 8年ぶり映画主題歌、監督ラブコールで書き下ろし”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2015年10月9日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/10/09/kiji/K20151009011286990.html 2015年10月9日閲覧。 
  12. ^ 「犬ヶ島」吹替版に細野晴臣が参加”. 映画ナタリー (2018年5月7日). 2018年5月7日閲覧。
  13. ^ 細野晴臣、オダギリジョー長編初監督作品「ある船頭の話」にマタギ役で出演”. 音楽ナタリー (2019年6月7日). 2019年6月7日閲覧。
  14. ^ 細野晴臣デビュー50周年記念ドキュメンタリー映画『NO SMOKING』公開決定!特報&場面写真解禁!” (2019年8月19日). 2021年1月13日閲覧。
  15. ^ “細野晴臣、ドラマ初出演でリリー・フランキーと親子演じる「緊張するなあ」”. 音楽ナタリー (Natasha). (2020年1月2日). https://natalie.mu/music/news/361853 2020年1月18日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]