神田駿河台

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神田駿河台
御茶ノ水駅と神田川に架かる聖橋。向かって右側が神田駿河台(千代田区)。左側が湯島(文京区)。
御茶ノ水駅神田川に架かる聖橋。向かって右側が神田駿河台(千代田区)。左側が湯島文京区)。
神田駿河台の位置(東京23区内)
神田駿河台
神田駿河台
神田駿河台の位置
北緯35度41分57.68秒 東経139度45分49.47秒 / 北緯35.6993556度 東経139.7637417度 / 35.6993556; 139.7637417
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 千代田区
地域 神田地域
人口
 • 合計 568人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
101-0062[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川
※座標は神田駿河台二丁目付近

神田駿河台(かんだするがだい)は、東京都千代田区町名住居表示は未実施。現行行政地名は神田駿河台一丁目から神田駿河台四丁目。郵便番号は101-0062[2]

地理

御茶ノ水駅の南側の地域である。千代田区・神田地域の北に位置し、文京区本郷湯島)との区境に当たる。「駿台(すんだい)」との略称も存在する。御茶ノ水駅周辺は大学専門学校予備校などの教育機関が集中しており、隣接する神田神保町神田三崎町湯島は日本最大の学生街を形成している。

河川

歴史

地名の由来

元和2年(1616年)4月17日、徳川家康駿府城で死去すると、家康に属していた「駿府詰」の家臣の多くが江戸に戻ってくるようになった[4]幕府は、これら家臣の屋敷として、新しく開発されていた神田台を割り当てた(これら家臣のための宅地を開発する目的で、神田台の開発を行ったという説もある)[4]。神田台は駿府詰だった人々が多く住むようになり、駿河台と呼ぶようになったという[5]

沿革

もとは本郷台地と連続していたが、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の命を受けた仙台藩祖・伊達政宗1620年元和6年)に仙台堀(神田川)の開削によって分離した[6][7][8][9][10]。また、削って下町を埋めたために、今では台地では無い所もある。

関東大震災復興区画整理事業の第1号地となった。戦前の旧神田区時代は、明治の元勲である西園寺公望が私邸を構えるなど、山の手の住宅街として知られていたが、1970年代に入ると民家が主としてオフィスビル、店舗などに取って変わられ現在では住宅の存在が稀になった。

1960年代には御茶ノ水駅から本郷通り沿い周辺を中心として学生相手の店が多くなり始めた事もあって日本のカルチェ・ラタンと呼ばれた[11]

年表

  • 1878年(明治11年)11月2日 - 郡区町村編制法施行により、駿河台南甲賀町、駿河台北甲賀町、駿河台袋町、駿河台東紅梅町、駿河台西紅梅町、駿河台鈴木町が東京府神田区に編入される。
  • 1933年(昭和8年) - 関東大震災後の市区改正により町名改正を行う。
    • 駿河台南甲賀町→神田駿河台一丁目・二丁目に編入
    • 駿河台北甲賀町→神田駿河台一丁目・三丁目に編入
    • 駿河台袋町→神田駿河台一丁目・二丁目に編入
    • 駿河台東紅梅町→神田駿河台四丁目に編入
    • 駿河台西紅梅町→神田駿河台二丁目に編入
    • 駿河台鈴木町→大部分を神田駿河台二丁目に編入
      • 淡路町一丁目→一部を神田駿河台三丁目に編入
      • 淡路町二丁目→一部を神田駿河台四丁目に編入
      • 裏猿楽町→一部を神田駿河台二丁目に編入
      • 猿楽町三丁目→一部を神田駿河台二丁目に編入
  • 1934年(昭和9年)
    • 駿河台鈴木町の残部が三崎町一丁目に編入される。
  • 1967年(昭和42年)4月1日 - 神田駿河台二丁目の一部で住居表示を実施し、町名を変更する[12]
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 神田駿河台二丁目7番地[13]で住居表示を実施し、町名を変更する[14]

町名の変遷

実施後 実施年月日 実施前(特記なければ、各町名ともその一部)
三崎町一丁目 1967年4月1日 神田三崎町一丁目、神田駿河台二丁目
猿楽町二丁目 1969年4月1日 神田猿楽町二丁目(全域)、神田駿河台二丁目

世帯数と人口

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
神田駿河台一丁目 59世帯 64人
神田駿河台二丁目 264世帯 321人
神田駿河台三丁目 48世帯 103人
神田駿河台四丁目 42世帯 80人
413世帯 568人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[15]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[16]

丁目 番地 小学校 中学校
神田駿河台一丁目 全域 千代田区立お茶の水小学校 千代田区立麹町中学校
千代田区立神田一橋中学校
神田駿河台二丁目 全域
神田駿河台三丁目 1番地、3番地
5番地、7番地
9番地、11番地
その他 千代田区立昌平小学校
神田駿河台四丁目 2番地、4番地
6番地
その他 千代田区立お茶の水小学校

交通

鉄道

道路

施設

教育
企業法人
宗教施設

出身・ゆかりのある人物

政治家・経済人

文化人

学者

脚注

  1. ^ a b 町丁別世帯数および人口(住民基本台帳)”. 千代田区 (2017年12月6日). 2018年1月2日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月2日閲覧。
  4. ^ a b 千代田区役所 1960, p. 504.
  5. ^ 千代田区役所 1960, pp. 504–505.
  6. ^ 第五章 神田川山脈「御茶ノ水の茗渓」 (PDF) (川副秀樹 著、『東京「消えた山」発掘散歩』 pp.80-83)
  7. ^ 首都圏みやぎゆかりの地「仙台堀(神田川)」宮城県
  8. ^ 地下鉄の駅名に見る江戸のなごり(その2) (PDF)社団法人日本地下鉄協会「SUBWAY 日本地下鉄協会報 第194号」 2012年8月31日発行)p.48-50
  9. ^ J-BECレポート 2013 vol.8 (PDF)一般財団法人橋梁調査会) p.33
  10. ^ 緑と水のひろば No.68 SUMMER 2012 (PDF)公益財団法人東京都公園協会
  11. ^ 広報千代田 No.1571 令和4年(2022年)7月5日号” (PDF). 千代田区役所. p. 1. 2023年3月23日閲覧。
  12. ^ 同年4月11日自治省告示第81号
  13. ^ 住居表示実施地区と未実施地区一覧 千代田区
  14. ^ 同年7月2日、自治省告示第113号
  15. ^ 区立小学校の通学区域”. 千代田区 (2017年8月17日). 2018年1月2日閲覧。
  16. ^ 区立中学校の通学区域と学校選択”. 千代田区 (2017年10月26日). 2018年1月2日閲覧。
  17. ^ 2017年12月1日閲覧
  18. ^ 『大衆人事録 第19版 東京篇』こ326頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月24日閲覧。
  19. ^ a b 『人事興信録 第14版 上』コ92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月2日閲覧。
  20. ^ a b 『人事興信録 第10版 上』コ93 - 94頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月2日閲覧。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第19版 東京篇』帝国秘密探偵社、1957年。
  • 千代田区役所 編『千代田区史』 上巻、千代田区役所、1960年3月31日。NDLJP:3002666 (要登録)

関連項目

外部リンク