Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/家屋文鏡 20240111

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選考終了日時:2024年1月24日 (水) 16:26 (UTC)

  • (自動推薦)2023年12月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話2024年1月10日 (水) 16:26 (UTC)[返信]
  • 賛成 コメント 主題は日本の古墳時代の建築を推定する貴重な絵画史料とされており、その点についてはよく書けていると思いますが、1点だけ気になりました。図像である建物について森浩一が後漢鏡との類似性を指摘していたようですが、それを是とする場合(本文でも「日本列島で独自に~考えられていた」と日本独自文様説が旧説であるように説明されています)図像に描かれた建築と後漢の建築との類似性が気になります。その点を検証した論考は無いのでしょうか?言い方を変えれば中国鏡の影響を指摘しつつ、文様が日本の建築物であることが前提となっている点に説明不足を感じました。引用されている小笠原(2002)は類似性が指摘されている屋舎人物画像鏡に描かれた建築について「3つの重閣建物」と記しておりこれを読む限りあまり似ていなさそうです。また森の指摘も新聞記事のようですが記者会見を開いて説明したという情報もあり[1]何らかの論考を発表してそうに思えますし、王(1993)も考証されていないのでしょうか?
あと選考の指摘とは別ですが、全体的な構成を個別の文様の説明(主に建物の考証)と文様全体に込められた世界観(日本書紀・古事記・昇仙図)の説明を分けた方が見通しがよいように思います。後者については鏡の用いられ方(農耕儀礼に用いる祭具・神仙信仰の呪具・被葬者の為の葬具・首長の威信財など)に関連するテーマでもあり、その点の補足もあればなお良くなるように思います。また説明なく昇仙図と記されていますが、馴染みのない用語なのでなんらかの補足があった方がよいように思います。参考:[2]--あずきごはん会話2024年1月13日 (土) 07:19 (UTC)[返信]
新たに「図像の解釈」節を設置し、屋舎人物画像鏡(および神仙思想影響説)についての記述をこちらに移してみました。屋舎人物画像鏡の図像については王(1993)に実測図が掲載されています。全体の図像についてはよく似ているのですが、建物の見た目に関しては大きく異なります。うちひとつについては、一本柱の上に楼閣が建っているように見えるため、森浩一により日本書紀の「一柱騰宮」がこれと関連するのではないかという見解が出ているそうです(王 1993)。森説の詳細についてはよくわかりません。同説をかなり重視する立場である小笠原(2002)が新聞記事を出典にしていることからして、まとまった論考として発表されたものはないように思います。朝日新聞の記事も一応確認しましたが、今記事に書いている以上の内容はなさそうです。小笠原(2002)を典拠に、家屋文鏡の図像のルーツを後漢鏡にたどれるとする立場からも、建物自体は当時の日本列島のものであろうとする見解は共通していることを明記するという体裁をとってみましたが、いかがでしょうか。--Nux-vomica 1007会話2024年1月14日 (日) 09:37 (UTC)[返信]
せわしないのですが、「図像の解釈」節を「研究史」節の下にまとめました。今後の課題なのですが、現状の記事は事実上小笠原(2002)以降の知見を反映していないため、それ以降の論考を渉猟する必要があるなと考えています。現状存在を確認できているものの、未アクセスの資料を以下にまとめます。
  • 車崎正彦(2007)「家屋紋鏡を読む」、小笠原好彦先生退任記念論集刊行会編集『考古学論究 : 小笠原好彦先生退任記念論集』、真陽社
  • 小笠原好彦 et.al. (2008)『三輪山と古代の神まつり』、学生社
  • 石野博信(2019)『邪馬台国時代の王国群と纒向王宮』、新泉社
  • 小笠原好彦(2019)『検証奈良の古代遺跡 : 古墳・王宮の謎をさぐる』、吉川弘文館
  • 加藤一郎(2021)『倭王権の考古学 : 古墳出土品にみる社会変化』、早稲田大学出版部
また、佐味田宝塚古墳をふくめた馬見古墳群を葛城氏によるものとする見解についても現状若干の異論があるようで、以下の資料も確認する必要があると考えています。
  • 河上邦彦(2006)『大和葛城の大古墳群 : 馬見古墳群』、新泉社
  • 小笠原好彦(2017)『古代豪族葛城氏と大古墳』、吉川弘文館
  • 関川尚功(2022)「馬見古墳群と葛城の天皇陵」、松田真一編『葛城の考古学 : 先史・古代研究の最前線』、八木書店出版部
くわえて、家屋文鏡が宮内庁の所蔵になっている理由が同記事には書かれていないのですが、以下の資料にどうもそのあたりの事情が詳しく掲載されているのではないかと考えています。
  • 徳田誠志(2022)「奈良県佐味田宝塚古墳出土品の収蔵過程について」、土生田純之先生退職記念事業会編『人・墓・社会 : 日本考古学から東アジア考古学へ』、雄山閣
--Nux-vomica 1007会話2024年1月14日 (日) 10:22 (UTC)[返信]
  • 返信 (Nux-vomica 1007さん宛) ご対応いただき有難うございます。懸念であった日中の記述については解決したと思いますので、賛成とさせていただきます。また未確認の資料があるとの申告もいただきましたが、この手の記事は新たな発見などが無い限りは加筆することが少ないと予想されるので、記述すべきことは概ね網羅できてると思います。私も少し確認してみます。--あずきごはん会話2024年1月16日 (火) 13:50 (UTC)[返信]
  • 賛成 良い記事だと思います。少し気になるところは、「研究史」のところで、「同鏡が中国大陸からの舶載品はなく、日本列島で製造された仿製鏡の可能性が高いことを明らかにした」とありますが、そのように判断した理由が書かれていないので、なぜそう考えたのだろうと思ってしまいました。--Tam0031会話2024年1月17日 (水) 14:59 (UTC)[返信]
    お読みいただきありがとうございます。家屋文鏡が仿製鏡といえる証左については、「様式」節において触れています。『佐味田及新山古墳研究』そのものに目を通していないため断言はできないのですが、梅原もおおむねこのような観点から家屋文鏡を仿製鏡と断定するに至ったのではないかと存じます。--Nux-vomica 1007会話2024年1月17日 (水) 22:52 (UTC)[返信]
  • 賛成 先に上げた資料のうち、徳田(2022)以外の資料を確認し、加筆しました。十分な記述ができたのではないかと考え、自薦票を投じます。--Nux-vomica 1007会話2024年1月18日 (木) 01:23 (UTC)[返信]

賛成票のみ3票以上の状態が48時間以上経過したため、早期終了・通過。--Nux-vomica 1007会話2024年1月20日 (土) 03:46 (UTC)[返信]