Talk:Wild silk
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Merge discussion for Tussar silk
[edit]An article that you have been involved in editing, Tussar silk, has been proposed for a merge with another article. If you are interested in the merge discussion, please participate by going here, and adding your comments on the discussion page. Thank you. KDS4444Talk 21:38, 5 September 2013 (UTC)
This is the talk page for discussing improvements to the Wild silk article. This is not a forum for general discussion of the article's subject. |
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- Oppose, but recommend merger of Tussar silk into Tussore. Tussore/tussah describes a specific type of silk produced under specific circumstances, which is more or less clearly explained in the article, while wild silk is a more general term. The terms are not like-for-like interchangeable. Tussore IS a form of wild silk, but not all wild silk is tussore. The article Tussar silk should be merged into Tussore, the most widely-known name for such fabric, not into Wild silk. Mabalu (talk) 09:40, 6 September 2013 (UTC)
- Seems you are right. How would you feel about merging tussore into tussar rather than the other way around as you suggest? KDS4444Talk 10:43, 24 December 2013 (UTC)
Japanese wild silk-related text
[edit][1] This might be helpful. It is in Japanese with a bit of parts translated into Korean.
일본에서 최초로 천잠사(天蠶絲;テグス;참나무 산누에나방의 유충에서 뽑은 견사선<絹絲腺>을 산<酸>으로 처리하여 낙싯줄로 사용)낚싯줄을 개발하여 사용한 시기는 에도(江戶)시대 초기로 아와(阿波;지금의 토쿠시마켄<徳島県>)의 도노우라(堂の浦) 지역의 한 어부가 개발한 것이라고 한다.
이 어부가 오사카의 도쇼마치(道修町;에도시대 중국과의 무역으로 한약재의 매매가 성행하던 곳)라는 곳을 견학하던 중에 중국에서 수입된 한약재의 포장끈인 "테구스(혹은 텐구스)"라는 천잠사재질의 것을 보고서, 반투명으로 낚싯줄로 이용하기에 매우 좋겠다는 아이디어를 갖게 되었다는 것이다.
한약재도매상에서 버려진 이 줄을 한 어부가 주워모으는 것을 보고서 한약재상 주인은 매우 궁금하게 생각하여 물었고, 이 어부는 자신의 아이디어를 그대로 얘기하였는 데, 결국에는 한약재도매상주인과의 동업 등의 관계로 발전, 많은 양의 "테구스"를 중국으로부터 수입하여 낚싯줄로 가공하여 일본의 세토내해(瀬戸の内海)지역의 어민들에게 널리 보급하게 되었다는 이야기다.
아래의 원문에는 위의 요약된 내용이 재밋게 표현되어 있다.
阿波堂浦の漁師が、江戸初期、魚釣りのテグスを開発した。ということを、このシリーズに書いた(第七巻)ことがある。その当時、私は堂浦を訪ねなかった。
こんどは、まっさきに訪ねた。 江戸初期、堂浦人(どうのうらじん)がテグスという白色透明の釣り糸をみつけてから、魚が多く獲れるようになった。とれた魚をイケスで活かしておき、新鮮な魚を需要者にとどけることも、できるようになった。従って当時のひとびとの栄養状態もよくなったと推量できるのだが、堂浦のたれがこれを発見したのか。 それまでもーーーー古代以来だがーーーー一本釣りという漁法は存在しなかった。しかし釣り針につけている糸が麻糸だったから、魚が警戒して十分にはとれなかったのである。
江戸初期、堂浦の漁師某ーーーー名は伝わっていないーーーーが、大阪見物に出かけたとき、薬問屋の町である道修町(どしょうまち)で、奇妙なものをみた。 いうまでもなく、大阪船場の道修町は、日本一の薬の町だった。そこでは薬用の草根木皮(そうこんもくひ)を中国(清国)から輸入(長崎経由で)していた。 それらの生薬(しょうやく)は油紙で梱包されていて、半透明の糸でからげられている。道修町は大商いをするわりには店舗面積がせまく、このため荷ほどきは軒下でやっていた。梱包用の糸は捨てる。 堂浦の某がテグスをひろい、ひっぱって靭度をみると、じつによい。半透明だから、水中でも、糸とは見えないはずで、これで一本釣りをすれば大いに魚がつれると思った。店の主人にこに糸についてきくと、 「これは天蚕子(テグス)というのやが」 どうせ捨てるものだからいくらでも持って行っていいが、いったい何につかうのだ、というので、某は目的を話した。 主人は乗<上>気になって、そういうことなら今後はこの糸だけを輸入してもいい、ついてはこのテグスを瀬戸内海沿岸の浦々をまわって実地に使ってみせ、需要を高めてもらえまいか、といった。 漁師某は、普及販売員になったのである。
テグスは、広東語か福建語である。 中国では(日本でもそうだが)絹糸をとるのに、かならずしも桑をたべる蚕(かいこ)だけでなく、他の木につく蛾(が)のマユ(繭)からもとる。 南中国の海南島あたりに楠(くすのき)などにつく大きな蛾がいて、巨大なマユをつくるのだが、そのカイコを天蚕子(テグス)とか楓蚕(ふうさん)とかといった。 その天蚕の幼虫(かいこ)のなかに絹糸腺(きぬいと、けんしせん)とよばれるどろりとした液が入っている。それをとりだしてす(酢)につけ、ひきのばすと細い糸になる。中国人たちは梱包用のひもとしてつかっていたのである。
この漁師某は、とりあえず堂浦にもどって、仲間と相談した。 その後の発展については、古い地誌が証明している。江戸後期には、堂浦にテグス販売の家が、ふえているのである。『鳴門市史』によると、文化六年(1809)の棟付帳では、堂浦の戸数が四百五十戸で、そのほとんどが加子(カコ)とよばれる働き漁師だった。 この漁村で、商売をする家が三十四戸もあり、そのうちテグス売りが十五戸だったという。むろん、大阪でもテグスの問屋がさかえ、かれらは、 「(虫+糸)テグス」 という字さえつくった。むろん漢和辞典にはない文字である。 先年なくなった民俗学者宮本常一氏は、生涯、村や浦を歩き続けた人で、テグスの商業的成立についても、たんねんに足で研究された。 江戸中期には大阪に「テグス仲間」という公認の商権までできていたし、また小売を担当する者は、多くは船でゆく行商だったという。 下 略
*** [ 시바료타로(司馬遼太郎;1923~1996、소설가, 논픽션작가,평론가)씨의 길을 가다(街道をゆく)시리즈 중에서<제32권 阿波紀行*紀ノ川流域>]***